新入社員への愛と鞭のメッセージ

ドリームファクトリー新入社員の皆様へ

いつから新人と見るか?不確定な部分もありますが、
当社の理念に基づく、人財についての考え方を再度共有したいと
思っています。

実はドリームファクトリーという社名を考えていたとき、それ以外にも
いくつか候補がありました。
そのひとつは、ボスファクトリーという名称でした。
ボス〜ってどういう意味?って思うかもしれませんが、文字通りボスを製造する工場(工房)
です。
責任者製造工房っていえばわかりやすいでしょうか。
しかし他社から缶コーヒーの「BOSS]って勘違いされるのも嫌なので候補から消えましたが、私としての会社経営の考え方をよりわかりやすく説明しいたと思います。

責任者って何を意味するの〜?上司になること?と理解する方もでてくるかと思うので、更に
奥にいって説明すると、ズバリ経営担当者になることです。

経営感覚を持って、自立し、考え、行動することです。
この経営感覚というのは、言葉で書くのは容易いですが、身につけるのは難しいです。

シンプルに言うと、社長の目線で仕事をすることとも言えます。(難しければ、その上司でも良い)

例えば、メディカルプラザ事業部で一本の電話から販売まで結びつけようと思った場合、
電話一本かかってくるのにどれだけ経費がかかっているか知っててうけるのと知らないで受ける
のでは全然意味合いが異なります。

ちなみに毎月メディカル事業部だけで毎月500万円の有料広告代(大阪・横浜含む)
がかかっています。
これにはIT事業部などの人件費などは一切入っていません。

ってことは販売の電話が1本鳴るだけで、約2万円の経費(各店1日4本と計算)がかかっていると
予想されます。
来客させるのはその数倍かかるでしょう!
それを自分の財布からもし出すとしたらどうでしょうか?
自分が経営してる会社だったらどうでしょうか?
ってことです。

ヒト・モノ・金・情報・時間・空間、これらすべては貴重な資源です。
これら限られた資源を最適な方法で活用できる人が経営担当者ってことでしょう!

でも急に社長の目線に立つとか、経営感覚をもって仕事をするとか難しいって思いますが、その方向性で頑張っていくと
1年後、2年後、もしくは10年後経ったとき、考えなかった人と考えたひととでは大きな差がでますよ。ってことです。

ウィルアム・ジェームズhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA
というアメリカの思想家は「人は考えたそのものになる」って言っています。

ドリームは皆様から見たら客体です。舞台です。学校です。人生修行の場です。
主体は貴方です。

私、井上は皆様に入社という切っ掛け(チャンス)を与えただけです。


増刊号 逃げだしたくなる時に読むべきブログ編

滅多にテレビを見ない私ですが、テレビ東京で放映している「カンブリア宮殿」だけは
できるだけ見るようにしています。

今日、見たファンケルの創業者である池森賢二氏(名誉会長)のお話は特に良かったです。

池森氏は、皆様ご存知のとおり、たった24万円の資金から無添加の化粧品を作り、団地にチラシを巻いて宣伝し、その後口コミで人気が広がり、今ではサプリメント事業も合わせて年商1000億円を誇る東証1部上場企業になりました。
その事業をスタートさせたのが43歳だったと言うのは凄いです。

そんな遅咲きで成功された池森さんですが、私が関心したのは創業前の話でした。

彼は脱サラ後、仲間と一緒に会社を起業されたのですが、うまくいかず2400万円もの
借金を抱えて倒産。

当時の2400万円ですからおそらく今では1億円ほどの額だったでしょう。

一時期は自殺さえ考えた池森氏でしたが、その何十もの債権者から逃げず、頭を下げに一軒一軒訪れられて謝ったとか・・・。

本来、殴られてもおかしくない状況なのにほとんどの債権者は責めず、許してくれたらしいです。

中でも大阪での債権者さんは、頭を下げてる彼に「さぞお腹が空いているだろう!」ってことで食事を奢り、ホテルまで取ってあげたとか・・・。

そしてその後、お兄さんのクリーニング取次ぎのお仕事をされてたった2年で借金を完済されたとか・・・。

そんな方だったから後々成功されたのだと思います

増刊号 エライこっちゃ編

当社の幹部募集の求人広告を「en japan」を出したところ、エライことになっちゃっています。

告知から一週間もしないうちに約200名近い応募数が殺到。

応募する人の学歴も職歴も早稲田卒だけで10名近く・・・。

あと名だたる国公立大卒やら、元代表取締役やら、COOやら営業部長など、凄い
方々から履歴書が送られてくる事態に私は日々テンヤワンヤ←大阪弁です楽しい
求人サイトの営業担当のお姉さんも驚かれてます。

こんなベンチャー会社によくも就職する気になられたものですが、当社が何故こんなに人気企業になっちゃったのか?って考えたのですが、私が出した結論は

この会社、もしくはこの社長について行けば、何か良いことが起こりそうな予感?みたいなもの」を皆様感じられたのでしょうね〜。

でも応募された方々の その感性は正しいって思います。

無形のもの(人間性の成長、仕事のやりがい、生きがいetc)であれ有形のもの(収入、地位etc)であれ、頑張り次第で当社に入社した社員を幸せにする自信が私にはあります。

何故かというと、私が社員全員の幸福(成功、繁栄、成長etc)を心から願っているからです


社訓のなかに「個人の幸福が、会社の幸福であり、それを社会に還元していきましょう!」って内容があるのですが、個々の幸せ無しには、他者を幸せにできないからです。

会社のために個人を犠牲にするのは、欺瞞です。

本当の意味でのWIN−WINの確立が必要です。

増刊号 私の近況編


正月からなんと約100日ぶりの更新ですショック

あちらこちらから私の更新を楽しみにしてるとの催促を受けていましたが、
多忙を言い訳にして誤魔化してました。
で、やっと最近落ち着いたので久しぶりにPCに向かっています。

さてここ最近の私の近況ですが、日本経済も景気が上がってきてるのか?
当社も活況でして、やっと4期目の決算を終える5月には約1億円の営業
利益が出そうです。

数年前まで、1万円のお金もなくて、狭くて、かつ怪しいアパートの電気代さえ
払えず、真っ暗闇の中で再起を誓ったあの頃から比べると夢のようですが、未だ逆境の中
で苦悶している人々の希望の星になるためにも何とかIPOを目指したいと固く心に誓っている私です。

しかし年齢を重ねるとは、また経験を重ねるとは不思議なものでして、順境な現在の自分になっても以前の私(多額のお金を散在してた私)とは違い、有頂天になることも、傲慢になることもなく、冷静に次の一手を考えられるようになりました。

増刊号 新年のご挨拶


皆様、新年明けましておめでとうございます。

今年は年初から私、機嫌が良いです。
ナント言いますか、希望と夢が膨らんでいます。

長年、事業を営んできた経験と勘で、今年は当社が大発展・大繁栄する
1年になるって気がしてなりません。

このブログを最初からお読みの皆様は、私の苦労してきた軌跡をご存知かと思いますが、それらの出来事が一気に花咲く感じって申しましょうか、やっと富士山に登る準備が出来て、期待が膨らんでる状態って言いましょうか、ともかくワクワクして新年を迎えました。

良い年になるという自信があるんです。

それは「代償の法則」とも言えます。

神様が「かおるよ!お前はいろいろと苦労してきたけど、ちゃんと見ていたよ!
お前の流した汗と涙はよく知っている。それらはこの幸せになる時の準備のためにあった
のだよ。よってその経験は決して無駄ではなかったんだよ!さぁ、今年からいよいよ大きく花を開け!」と語りかけられてる気がするからです。

成功へのステップ わらしべ長者編その3

ここ最近、いろんなトラブルがあり過ぎてしまい、更新が大変遅れてしまいました。
すみませんショック

増刊号が立て続けでしたので本編に回帰です。

いよいよ新聞広告上での受付時間になりました。

その日は大変忙しく、フリーダイヤルを転送してる携帯電話が鳴りっぱなしになりました。

ともかくトイレに行く時間もないくらい、招待状送付希望と買取依頼の電話がきます。

そうです。

あと10日後に迫った展示会開催でしたが、たしかな手応えを感じました。



増刊号 ターニングポイント

前号では、宮本さんって言う音楽評論家が若かりし頃、人生に行き詰って自殺をしに温泉地に行ったところ、たまたま流れてきたバッハの音楽を聞いたがゆえに生きる希望がでてきて、そのまま音楽評論家って職業の道を目指されたって話しをしました。

まさに人生の節目で、たまたまその音楽が流れてきたから、その人の生死どころか運命も変わってしまったのです。

宮本さんにとってはたまたまクラッシックであったでしょうが、それが人との出会いでも本との出会いでも、風景でも、出来事でも何でも良いかもしれません。

人それぞれなりのターニングポイントってあると思います。

私の場合は、親父が電位治療器が欲しいって言い出したので、この中古での販売を思いつきましたが、それ以外にも人生の節目節目でインスピレーションに近いものが多々あります。

そうです。あの時、あの一言がもし無かったら人生の方向性が変わっていたでしょう。

でもそれは本当にたまたまだったのでしょうか?

私はそうは思いません。

はやりその人生の節目、ターニングポイントで目に見えざる手に導かれてるのではないでしょうか?

人生に偶然ってないと思うのです

そして私の場合、それは順境のときよりも、逆境かもしくはそれを這い出せたぐらいに機会が訪れることが多い気がします。

そういう意味では、辛い出来事も長い目又は大きな目で見た場合、積極的な意味があるのではないでしょうか?

増刊号 クラシックがわかった編


最近の私はクラッシックにハマッています。
逆境の井上がクラッシック〜〜?なんて声が聞こえてきそうですが、私も40数年間生きてきて今更クラッシックに興味を持とうとは夢にも思いませんでした。

クラッシックって言うと、ナンカ取っ付き難くくて、自分には縁がないって思っていました。

ある雑誌に掲載されていた宮本英世さんっていう音楽評論家の記事を読んだのがきっかけでした。

彼は若い頃希望を失って一度だけ死のうって思ったことがあったらしい。
そのピンチを救ったのが音楽だったとか。

その内容を転載すると
【私が働きながら夜間の学校に通ってたのは20歳の頃ですから、昭和32年かな。事情があって家を出て、一人で貧しくて苦しくて生活を送ってたんです。
当時の月収が7500円で、下宿代と授業料を引くと残りが2500円。
1日に使えるのは80円で、そんな食うや食わずの生活から、無茶がたたって病気になったり、、いっこうに将来に光が見えない時期が続いて、いつの間にか漠然と死を考えるようになってしまいました。



成功へのステップ わらしべ長者編その7


むちゃくちゃ久しぶりの更新ですが、大変お待たせして申し訳ございませんでした。
周りから急かされてましたが、ようやくの本編の続きです。

さて当時からさかのぼること数年前までホームレス寸前の身分だったのに関わらず無謀にも天下の大新聞、読売に全5段もの広告を打つことを決めた私でした。

掲載住所は当時住んでたワンルームマンションでしたが、さすがに〜マンション〜号室って書かとマズイので、〜〜ビル〜階って表現にしました。

この時、私の作った広告をもし皆様が見れば、ナント大きな会社だろうか?って勘違いされたことでしょう!

やり方はまさに究極のハッタリです?

当時SOHOって言葉が流行りだしたころでしたが、私がしてたことも究極のSOHOです。

かつ本格的なインターネット時代に突入する前の時代でしたが、資本力でメーカーなどの強者に対抗する弱者の立場として、このハッタリ商法がマーケッテイング的にも最先端をいってる手法だったと知るのはその数年先のことでした。

そして見出しは、ヘルストロン展示即売会って文字を大きく書きました。
これは一文字の大きさが縦横約7cmはありまして、新聞を開けた人全員がこれはなんだろう? って思うぐらいインパクトがある内容になっていました。・・・しかしこのことが後々大事件になってしまい、当社のピンチを招くはめになってしまったのです悲しい


成功へのステップ わらしべ長者編その6


周りの反対を押し切って天下の読売新聞に全5段の広告掲載を決めた私でした。

会社でもない、事務所もない、当然その電話を受ける受付係りもいない・・・ナイナイずくしの状況で決定した大きな投資でした。

でも今から考えると海のモノとも山のモノともわからない個人事業主の私に新聞社の審査部もよく了解してくれたものだと思います。

そういう意味では奇跡でした。

最近読んだリクルートの創業者江副社長さんの伝記でも、創業期でまだ年間経常利益が1000万円しかでていなかった時期に、朝日新聞の全面広告で求人をかけたそうです。

人が財産と言い切るリクルートならではの投資です。

その費用が1千万円

会社が1年間かけてやっとだした利益全部をたった一回の新聞広告に費やした計算です。

リクルート事件で晩年、その名前を汚してしまった江副さんですが、アントプレーヤーの元祖だけあって、その先見の明はやはりスゴイです。
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